生きるのって、こんなにハードモード?
HSPという概念に出会うまで、特別に私はみんなと違う感性を持っているとは思ってもみませんでした。
日々色々気になって、時に悩んで、時に心配で、ぐるぐると考えては出せない答えをなんとか自分の中に落とし込まないと次に進めない、そりゃもう生きるって大変ね、でもそういうものでしょ?
しかしながら。大変なのにみんなケロッとしているな?ということには気づいていきました。そして出した答えはコレ。
「みんな違う人間だからね、そりゃ感じ方も、考え方も千差万別か。」
私が気にするほどみんなは気にしていないのかもしれないな。そのくらいの認識でした。
間違いではない。
そう、間違いではない。むしろ真髄であった。でも私の認識はこの言葉通りの境地には程遠く、あくまでみんな同じ土俵に立っている中での違いというか。
例えるのが難しいのですが、自分と他人は違うものだと思いながらも、自分の感じていることはそのまま相手に伝えることは可能だと思っていました。なお、うまくいった試しはない。
「悲しい」の翻訳が、実は全然できていなかった話
どうやら繊細さんと非繊細さんでは、感じ方が違うらしい。(武田友紀先生の言葉をお借りしてHSP=繊細さん、そうでない人を非繊細さんと記載します。)
以下は語彙力の少ない私が例える、繊細さんという概念を知った後の、「感じ方についてのイメージ」ですが、
自分(繊細さん)も他人(非繊細さん)も同じ人間ではあるが、他人(非繊細さん)はどうやら母国語が異なっていたらしい。
どちらかというとこちらの言語が違った感じですかね。言語の壁は学習で越えられるものなので的を得た例えではないのですがご容赦ください。

I am very sad because of things like XX, XX, and XX.

あ~・・・悲しかったんだね

XX, XX, and XXはわからないけどsadの意味は悲しいだったはず

That’s right!
みたいな感じでしょうか?これで、自分の気持ちは伝えられた、良かった良かった、とまずは思います。でも話が進むにつれ、あれ伝わってない?となるんですよね。これまでこんな場面が幾度となくあったのだろうと思います。
さらに別の例です。例えば以下のように感じたとします。

どうしてこんなにひどいことをするの!私はこんなにも傷つくのに!そんなことは想像に容易いじゃないか。私にはこんなにひどいこと、とてもできないのに。。。
こういう時私はあまりに哀しみが深いものだから、思考をうまく言語化することができないのだけれど、とはいえ「(言語化できない部分について)わかるでしょ?」と本気で思っていました。
実はこれ、非繊細さんにとってみたら想像に容易くないし、ハードモードを要求していたみたい。
まじか。どおりで説明してもこっちがおかしいみたいな感じになるわけです。超納得でした。
パートナーにこそ伝えたい「悲しみの詳細」というブラックボックス
自分をわかってほしい!という想いは傲慢でもあるのですが。。。こと恋愛においては、そういう場面が大人になってからも出てくるもので、悩みました。私は仕事では分かり合うために衝突を起こそうと思うことはなかったので、恋愛についての話として挙げていますが、どんな場面にも当てはまる話ではありますね。
楽しかったことが共有しきれなくても衝突は起こりませんが、今後人生を共にするパートナーには悲しかったことは伝えたいと考えることが私はあったんですよね。
まぁ先にうまくいった試しがないと書いた通りでして、結局うまく伝えきれず、気持ちの浮かない話題を切り出した上に、不満に思った事実が浮彫になり相手を傷つけてしまい、私が悪者みたいな(;^_^A
こういうとき自分の気持ちがうまく言語化できないことがいけないと思っていました。
でも非繊細さんに、繊細さんの「悲しい」の「子細」を伝えることは至難の業だったのです。子細までもをわかってほしいという私の傲慢があること、またそれが可能だと思っていたことが根本にはあります。
繊細さんの思考の深さはものすごいのですよね。私はとにかくたくさんのことが同時多発的に頭に沸き起こって言語化が追い付かない。でもそれは多少の差異はあれど相手も同じだろうと思っているので、言葉にできなくても共通認識はあるだろうと思っている、でもそれは違った。
私が一番言いたい、この事実を知った時にとてもすっきりしたことは、私が感じている世界は、相手にはない世界だと知ったことでした。
私が傷つくポイントは、こんなに傷つく酷いことを、何で私(大切な人)にできるんだろう?という考え方を私がすることです。
自分が傷ついた事実以上に、極悪非道な最低極まりない酷いこと(私の認識からすればですが笑)を、私にしてもいいと判断した=私が大切に想われていないと思えることが何よりも悲しいことだったのです。
でも相手にとっては、「これをされて悲しかったよ」といわれたら、「まぁ良くはなかったかな」「相手にとっては悲しいことだったのかそうか」「え?それの何が悲しいのか理解不能なんだけど。」その程度の認識なんですよね!!(あくまで想像であり例えですが)。一番最後の場合頭を抱えてしまいますけどね。
「極悪非道な最低極まりない酷いこと」についての理由が頭の中ではたくさん駆け巡っている。こんなことをされたら相手はこう思うのでは?、わかった上で私に酷いことをした!?、エトセトラ。といった具合で。HSPの感受性が高いってこういうことなのね。
HSPさんは、こんなことをされたら相手はこう思うのでは?の想定能力が高すぎるのかもしれませんね。当たり前に周囲の状況、感情、期待をくみ取って行動してきた自分にとっては当たり前に想像できることでも、想像できない人がたくさんいるのです。
繊細さんが言語化できない気持ちの子細は、非繊細さんにとってはまさしくブラックボックスなのです。
※ブラックボックスは、内部の仕組みや詳細な処理手順、原理が外部からは全く分からない(見えない)システムのことで、特定の入力に対して結果だけは出るが、なぜその結果に至ったかという「過程」が不透明な状態です。まさにこれでは?
同じ「☆」を見ていても。共通の価値観に収まらないことを知っておく。
当たり前だけど私にとって当たり前じゃなかったことを言いますと「相手は私と同じようには感じていない」ということ。
「みんな違う人間だからね、そりゃ感じ方も、考え方も千差万別か。」元からの私の考えですが、いやもう本当の本当にこれに尽きるのですよ。
”普通”という言葉が私は嫌いですが、やっぱり誰しも”自分の普通”を内に持っているもので、ついついその物差しで測ってしまう。自分も例外ではなかったようです。
とはいえですね?
どんな例も何か偏見を含んだ例になるような気がしてうまく言えないのですが、この形「☆」は何ですか?と言われたらみんな同じ回答になると思っていたんです。
感じ方は千差万別と思いつつ、せいぜい回答は「ほし、星、スター、五芒星」このくらいの差異であって、同じ時代に同じ国に生まれた私たちは、共通の価値観で意思疎通できるし、相手の意思がくみ取れるだろうと思ってしまうのも仕方ないのでは・・・。
でもどうやら繊細さんと非繊細さんの感じ方はそんな比ではないらしい。言い過ぎだと思いますか?でも私はそう思ったんですよね。それは繊細さんを学ぶほど、私の人生で心当たりのあることでした。
以上は、私にとって繊細さんと非繊細さんの、物事をキャッチする網目の細かさの違いを知って、納得して心が軽くなったお話でした。
分かってもらえなかった、なんで?と深く考え込んで傷つく必要はないのです。なんでもなにも、相手は私がなぜそんなに深く傷ついてるのかちんぷんかんぷんなわけで。私がそういう生き物であるように相手もそういう生き物なのです。相手に無理に自分はどう感じたのかを説明するのも押し付けになるばかり。
でも悲しいと思った、それくらいは伝わりますし、これからはどうやって伝えるか、の大きな足掛かりになるように思います。
生きづらいけど、同じくらい世界は鮮やかなのだ
最後に、ここまでネガティブな事柄に対して敏感すぎるからこその困りごとを取り上げて参りましたが、繊細さは悪いことばかりではないなと感じるこの頃です。
日々のふとした事柄に、たくさんの幸せ、心地よさ、面白さ、ワクワクさを感じることができるのです。洗濯して干した毛布を取り込む時に太陽のにおいに顔をうずめる、外を歩くと季節のにおいがしてくる(伝わります?笑)、道端にきれいな花が自生しているのを見つけた、とかですね。
このどれもが、私の心をとても穏やかに、時にじっとしていられないようなワクワクを与えてくれるのです。繊細さんから見た世界は色々なことが鮮やかなんじゃないかなと思います。この辺にもフォーカスを当てて別記事を書いてみたいと思います。うふふ。
ここまで読んでくださった方へ、本当にありがとうございます。何か琴線に触れるものはありましたでしょうか?そうであればとてもうれしい限りです。
今日も色鮮やかな世界を、繊細さとともに歩んで生きましょう。

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