私は、休職してからはじめて「HSP」「繊細さん」という言葉を知りました。現在私は、10カ月休職した末に、体調は良くなりつつも未だ療養中で、仕事の本質的な部分が向いていないんだなという考察のもと、復職には至らず退職した無職アラサーです。
私は「HSPだから」休職したのか?少し前から思う自分への問いです。
今回の記事では、HSPをマイナスな事柄の理由付けにしたいわけじゃない、私の考えを綴ります。
HSP、繊細さんを知ったとき目から鱗が落ちた気持ちでした。私って多分これだ!!!!私だけじゃなかったんだ。そういう気質があるんだ。理由がついたことがとてもうれしかったのです。 書籍も読み漁りました。その中で私の心のバイブルとなった本にも出合いました。 書籍も読み漁り、答えが出たとばかりに、HSS型HSPな私の生き方を考えていこう、と思いブログ名も変えました。
最初はただただ感激して、色々な事柄が「あれもこれもHSPだったからなのか」と結び付きました。一方で無節操にHSPだからこうだったんだって考えている気もしてきます。
私なりの「HSP」という気質の捉え方について、自分の休職理由と向き合いながらまとめました。
休職に至った経緯や、休職中~退職までの出来事や考えていたこと等をこちらにまとめています。よろしければのぞいてみてください。
HSPな私が本当に必要だったのは「自己受容」だった
自分がHSS型HSPに該当する?と思うところは上げ出したらキリがありません。
気にしいなところとか、まじめすぎるところとか、自分に厳しすぎるところとか、完璧主義で自分の首を絞めるところとか、責任感が強いところとか、引きずってぐるぐる考えちゃうところとか、世間の目を気にして「普通」であることに必死とか、評価されるけど実はめっちゃ無理をしているとか、自分に自信はあるんだけど自己評価が低い?ところとか。。。長いよ。
そういうところが自分を作り上げてきた要素であるものの、そういう不器用さ?で苦労してきたことはそうなんです。そして自分の心と体がボロボロになるまで止まれませんでした。
でも、自分がボロボロになるまで止まれなかったのは、周りと違う自分を否定して、周囲に擬態しないといけないと無理をして、自己受容ができていなかったことが原因だったのかな、とゆっくり休んだ今は考えています。 必要なのは、周りと違うところもある自分を、それでいいんだと思えること、むしろそこがいいんだと思えること、だったと思います。
HSP、繊細さんというものを知って何がよかったかって、自分のナニかを閉じ込めなくても当てはまる型が見つかって「私ってそうなんだ」と思えたことだと思います。
これまで自分を何かの型に分類したくて、でもそうするためには自分の何かを否定して閉じ込めないといけなかったんです。「普通」はこんなこと気にしない、とか。
自分がボロボロになる前に立ち止まるのに必要だった「自己受容」っていうのは
- 自分(繊細さ)の良いところに目を向けられること
- 状況によって自分(繊細さ)が適していないときに、そうだよね。それは私にとって苦手・嫌なことだよねって思えること
だと今回は書き表してみます。
「HSPだから」働きにくい(生きにくい)と感じることは確実にあると思うんですけど、だから仕事が続けられないとか、そういう風に思いたくないなと思います。でも特性にあった場所選びはすごく大事で、ある程度健やかに過ごせる仕事内容や環境でないと、どうしようもなくなってしまうんでしょうね。
何でみんなそんな風に考えて生きていけるんだろう。振舞えるんだろう。辛くないのかな?私はこんなに辛いんだけど。同じになれたら私も楽なのかな。そう思うこともあったけれど、HSPというものを知って「あぁ私ってこれでいいんだ」って思えるのがとても心地良いんですよね。
私が休職した理由を文にするなら、自己理解と自己受容ができていなくて、自分を大切にできていなかったから、だと思います。
苦手なことを苦手だと認められずに(休職するまでまじでわからなかった)、心と体をすり減らして頑張りすぎたんだと思っています。
友人との会話で感じた「理由付け」へのモヤモヤ
休職中に信頼できる友人と会って食事をしました。話の流れでHSPって知ってる?本を読んで、私ってそうなのかも、という話をしたんです。私が最近知った書籍もその子は以前から知っていてHSPについても知っているようでした。
友人のHSPに対する感想としては、あぁね。それは当てはまる人ってめっちゃいるよね。みんなHSPでしょ思っちゃった。
ちょっと冷めた感じ、そんな印象を受ける様子でした。友人も当てはまる部分があったんじゃないかな。多分似ているところがあるからこそ仲良くなれたのかな、なんて思います笑
ただね、私は友人の言葉がこんな風に変換して聞こえてしまいました。
「HSP、繊細さん」っていう名前をつけてうまくいかないことの理由付けにしているだけでは?
毎度の跳躍思考ながら私は思ってしまいました。(友人はそんなことは一言も言っていないんですけど!)
うーーーん。そうじゃなかったんだよなぁ私は。いまいちな気持ちになりました。
HSP、繊細さんというものを知って何がよかったかって、自分のナニかを閉じ込めなくても当てはまる型が見つかって「私ってそうなんだ」と思えたことだと思います。 これが言えたらよかったんですけど、その場で言語化できなくてちょっとモヤっとしたんです。なのでここで言語化できてよかったです。というかこの記事を書こうと思った発端の出来事なんです。
自分を知ることは「自分を責めないための知識」
私としては、グレーゾーンな人(HSPっぽい人)がたくさんいると、もちろん思いますし、私もグレーゾーン側かもしれないですけど、なんていうか、そういう気質があるんだ、って知ったことがすごく感激だったんですよね。
自分がおかしいのか?、周りの普通に合わせないと、って割り切ってきたものの、やっぱり自分の何か大切な部分を無意識に否定し続けて生きるというのに悩んでいたのかもしれません。
マイナスな面にフォーカスしたとき、それは「HSPだから」っていう理由で正当化したいわけじゃないというか、自分を理解する上で、知識として知れてすごく腑に落ちたし、マイナスな面を否定じゃなくてあぁ自分はそうなんだなって思えることがすごく大事だと思うというか。
自己理解の一つの選択肢として、情報があることはすごく大事だと思う!これだ!
下手くそですけど例えると、得意なことを頑張るより、苦手なことを頑張る方が苦しいと思うんですよね。そして自分が得意なこと、苦手なことを知っているかどうかって言うのは、自分を肯定できるか、否定的になるか、大きく左右する要因だと思うんです。
苦手なことだけど、自分は頑張ってやってるんだな、って思えたほうがいいし
苦手なんて思ってもみなくて頑張ったていたら、頑張ったのにみんなよりうまくできないし、自分はダメだとか、もっと頑張らないとって自分を苦しめると思う。
【寸劇】概念を知っているかどうかの違い
以下、自分なりにHSPという概念を知っているかどうか、についてわかりやすいイメージを、そんなわけあるかい!という寸劇にあらわしてみたのでお付き合いくださいませ。
- 《Aくん》身長という概念を知らない(実際は身長180cm)。周囲の人間は自分と同じ身長だと思っている。
- 《Bくん》自分の身長は180cmで、平均身長も知っている。自分は周囲よりも大きいとわかっている。
- 《Cくん》友情出演。通りすがり身長110cmのモブくん。
「天井高さ100cmのトンネル10mを中腰でくぐりぬけてください。」を実行したA君B君の感想は
- 《Aくん》「体がなんだか疲れたな。C君は自分よりも早かったし、全然辛くなさそうだ。なんだか自信なくすな。」
- 《Bくん》「いやー疲れた!てかそりゃ辛いっしょ。腰痛いわ。」
おわりに
HSPを知った時に、私のあれもこれもHSPだったからか!と、とにかく色々なことをHSPに結びつけてしまったというか、結びついてしまったというか、そうなりました。 とても腑に落ちることばかりでした。でも、何でも理由付けして片付けようとしている、のかなって思うこともありました。自分自身、友人の言ったことに、ギクリと感じたんです。
でも「HSPだから」「こう」みたいな記事をあんまり書いてないんですよね。 今まで、こういう風に生きてきて、こんな風に感じることがあったんだけど、それってHSP気質の一部だったのかも。という紐解きメモはあるんですけど。多分それが私の捉え方です。「HSPだから」「こう」って言いたいわけじゃなくて、自分を理解するための鍵みたいなものでしょうか。
自分はこういう気質があるんだよなって認知しているからこそ、自分が生きやすい、自分を大切にするために何をしたらいいのかを考えることができると思います。 HSPな私に合った環境って何だろう?どうやって調整していこうかな?そういう材料にしていきたいと思うこの頃です。
休職に至った経緯や、休職中~退職までの出来事や考えていたこと等をこちらにまとめています。よろしければのぞいてみてください。



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