【HSP休職6ヶ月目】家族にカミングアウト。山登りも頂上が近い?凪いだ気持ちになってきた

HSP日記

訪問ありがとうございます。メンタル不調で休職中のアラサー激務会社員(HSS型HSP気質)です。変わらずのモリモリ自己紹介です笑

休職も半年ほどが経過しました。休職5カ月目に導き出したまだ充電したいという結論にそんな気持ちは怠けかもしれないという心配もありましたが、+1カ月の休養は私に効いてきていると思います。

この記事では休職6カ月目の心情や、休職していることを家族に打ち明けられて自己受容が進んだ話をしていこうと思います。

「復職しよう!やっぱり無理かも」からの、「辞めよう…やっぱり復職した方がいいのかも」、そんな気持ちに振り回されている方にも、同じように考えていた私を共有したいです。

どうして決めきれないんだろうとか、優柔不断だとか、ご自分を責めないでくださいね。今提示できるサンプルは私とあなただけの2例だけれど。悩んで悩んで悩みぬいて進んだり戻ったりしているように見えて着実に一歩一歩進んでいる証拠だと思っています。険しい岩場もそろそろ抜けて頂上は近いかもしれない、と感じたのが休職6カ月目でした(^^)

辞められない…辞めたい…堂々巡り

当月は、気分が落ち込んでもし退職したらこんなことがしたいと思っていた事柄のやる気がなくなってしまうことが多く、となると「復職する道しかないのではないか」という考え何度も浮上しました。

仕事を辞めたとして「さぁ働こう!」と思えなかったのです。今の仕事に戻りたい、という気持ちではなくて、辞めたらじゃぁどうするのか、気力が沸かないなら辞められない、そんな感じでした。

気分の浮き沈みがある中で、元気な時は辞めたらこういう生活がしてみたい、とか考えられるんですけどね。今の仕事を辞めたら人生のターニングポイントになるのではという期待感もあったり。でも沈み期はそんなの大丈夫?って思ってしまう。

「一回復職してみようか」「やっぱり違うかも」「辞めようかな」「でも一回は復職で挑戦した方がいいのかも」当月に限らずこの思考の堂々巡りです。

この記事を書いている今は休職6カ月目と7カ月目をボイスメモから振り返っているのですが、本気で復職しようとしていたり、辞めようとしていたり、びっくりするくらい意見が行ったり来たりしていました。そんな記憶はなかったのですが。。。本当にびっくり。

働きたくないは甘えか

仕事に戻りたくないけど、仕事辞めたとして働く気になれない。辞めたらどうするのって思っている。苦手も整理できたし(今の仕事は苦手だし)、かといって得意なことでも働こうと思えない。

日々社会に出れる状態へと回復してきているようには感じるのです。だから「とりあえず一回」復職してみたらいいのかな?案外何とかなるのかな?と考える。

でも「さぁ働こう!と思えないんです」と先生に相談すると、仕事を辞めた後に充電期間を取ったっていいんだよ、と言われました。その選択も視野には入れていたことですが、働きたくないと口に出して、肯定してもらえるとなんだかホッとしました。

無意識にそんなのはダメだ、怠けだ、甘えだと自分で否定していたのかもしれません。

甘えだろうが何だろうが、実際に働こうが働いてなかろうが、今私はどう思っているか、それは働ける気はするけど、働こう!と全力では思えていない。それだけ。否定することじゃない。ただただ私はそう思っているんだね、と受け止めてあげた。

周りに暗にそういわれていると感じることは自分が思っていることだった説

会社との定期面談やクリニック診療で、いい加減にそろそろ復職しろ、と暗にそう言われているのではないか?と頻繁に感じるようになり辛くなっていた。

これはおそらく、私が私自身に思っていることだったのだろうと思う。ボイスメモを聞き返すと何を言われても「それって復職しろってこと?」と零していた。復職にしろ、転職にしろ、そろそろ働かないといけない気がする、働ける気がする、そう感じていたからこその後ろめたさがあって周囲に急かされているような気持ちになっていたと分析している。

私が一番そう思ってるっていうことか!と整理したら辛くなるのをやめられた。

本音を大切にしていきたい私としては「しないといけない」はよくないかもしれないけれど、生産的なことがしたいという気持ちがあった。何かしたくなってきている、回復してきているってことかな。

心の声はどれだろう?&ポコポコ思考が降ってくるHSS型HSP

録音の中に面白い言葉があった。「本当は~できたらいいのにと思ってる。」

本当はっておい。笑

今の仕事を辞めたくない理由をつらつら上げると、転職の手間、お給料、やりきるという闘志、復職することで自分の価値を証明しないといけない(誰にって話なんだけど、たぶんそれは自分自身にかけている呪いみたいなもの。)、こんなことが思い浮かぶ。復職して働き方や環境を調整していけばいい。逃げた気もしてしまうし、一度復職してみて考えるのがやはりいいのかも。

この復職理由の核は先月まとめた自己受容に関する内容だ。できない自分を認めてあげられない私がいることが根本にある、多分。でもこれは復職理由にはならない、してはいけない、もうその生き方はやめようよと、引き留める自分がいるのだ。

復職することは経験として無駄ではないだろうし、自分に合った働き方を調整していかなければいけないという気持ちのある私は、以前の私とは違うスタートが切れることは確かだ。でも、仕事は苦手なことだった、コンスタントに多い仕事の量は変えられない。きっとまた無理をする。

ゆるく働く道もやはりいいのではなかろうか。こんなことをして生きられたらいいのに、そんな風に考えるのはHSS型の私が刺激を求めている可能性を心配しているけれど、ギラギラというよりホッとする気持ちになる。多分こちらが心の声なんじゃないかなぁ。

とか考えながら、突然に関係ないことが降ってくることもあった。例えば子供が出来たらしっかりした福利厚生のある今の会社に所属しておくのが安泰では?とかね。起こるかもわからない未来のことまで視野に入れてみたりする。関係ない思考が入ってきちゃう。これはHSS型HSPあるあるとして書籍で読みましたよ。なるほどね。こういう時はいったん思考ストップ。落ち着こう。

自分のトリセツを更新していく 

貴重な時間がある今、自分という人間の生態に向き合うことがしばしばあります。

当月の気分の落ち込みの原因を考えたところ、月の周期的なものは絶対にあるとして、心当たりが一つ。連絡を取っていなかった前職の同僚から偶々誘いを受けた飲み会、その日取りが近づいている。ノリノリでOKして日取りが近づいてくると憂鬱、多分絶対行けば楽しいのだけど…という私あるある。HSPあるある。

あぁこれか。そして私は気がかりなこと1つに対して数週間前から気落ちするのか。そうなのか。

この「あるある」自覚はあったけれど、具体的にどのくらい前から気落ちするとか、日々仕事に追われていたら気にできる状況じゃなかった。自分を省みないでも時間はどんどん進んでいくから、色々な気がかりが日々重なって、少しずつ消化されていく。そんなもんと言えばそうなのだろうけれど、やっぱり自覚しているかどうかっていうのは、自分を大切にできるかできないかの大きなポイントだと思う。

アウトプットのすすめ

先月のまとめにも書いたのですが、思考量が多い(HSS型)HSPさんはアウトプットすることあが大事なのだ知り、気の向いたときにボイスメモに吐き出しています。

当月の会社面談で、私が成長しているからこそ憤りを感じる出来事があったのです。それはまた別記事にまとめるとして。その関係で「面談後に心の平穏を乱される、ざわざわする」と騒いでいたのですよね笑。

ざわざわする、しんどい。嫌だった。ほっといてくれ!って思っちゃう。ぱっと復職したらやれるもんかね⁉もういっそ辞めちゃいたいよね。なーんていう気持ちをアウトプットしていました。

辛いんだよ、いやだったんだよ、をちゃんと吐き出していて、良いことだなと思いました。思っているだけだと気持ちが消化されずにどんより溜まっていく。さらに悪いことに溜まっていることに気づけない。だから口に出して自分で自分の気持ちに気づいて昇華してあげる、そういう練習だと思っています。

休職6カ月目にして家族にカミングアウト

私は実家から出ているので、自分で休職していることを伝えない限りは知られることはありませんでした。

そしてここまで後ろめたさを抱えながらも、家族に伝えることができていませんでした。休職してから実家に帰省するタイミングはありましたが、世間的な休みに合わせて帰りましたし、特に話題にもしませんでした。仕事のことが話題に上がったら嘘をつかないといけないから嫌だな、そんな居心地の悪さを抱えての帰省はなんだかしんどかったです。

復職に悩んだ時、私がこうやってブログを書いているように、誰かが発信しているのではないかとネットで休職や復職について検索しました。そこで、家族とのあたたかなやり取りを見かけたのです。親に認めてもらえるのってうらやましいな。いいな。そう感じました。

仕事を辞めるかもしれない、そう考えたときに、親に何も言わずに辞めるのってどうなんだろう?母には伝えておきたいなと思いました。

今休職している自分をとにかく認めてほしい、辞める辞めないを後押ししてほしい、こんな気持ちがありました。思い立ったが吉日、母に連絡を取りました。言えました!

「頑張りすぎるところがあるし、ゆっくりしたらいいんじゃないか」と言ってくれました。

勝手に親は自分のことをわかってくれていないと悲観的な気持ちになっていたのですが、存外にわかってくれていたんだなと、最近安定していた涙腺が緩みました。

すごくすごくホッとした。伝えられて本当によかった。

思い立った時に連絡した。これが大事。後から辞めようかなと何度も思ったから。

休職し始めたころ親に伝えられていないということを、先生に言ったとき、自分の状況を人に言うのは、私にとって大事な一歩だと言われたような気がする。遅くなってしまったけれど、大きく一歩進めたと感じる出来事でした。

自己受容できてきたかな?

母に休職していることを伝えられたことで、また一つ自分を認めてあげられたのかなと思っています。

今の仕事ができない自分を認められない、という気持ちがある、自己受容ができていないと自分を分析してきましたが、自己受容のステップアップはできているのです。ここでは自分が出来るようになったことに目を向けたいと思います(^^)

体調が悪い・休みたいと医者に行った、そうして休職した、友達や親に休んでいることを話した、今の仕事は苦手なことだったと整理できた、医者では「最近の私はこうなんです」とつらつら話せるようになってきた。「ありのままの私ってこうなんだ」を少しずつ思い出して認めて進んでいるんです。

私は私のままいいんだと認めたい。この後に書くことはあくまで”私の場合”ですが、ありのままの自分を認めること=今の仕事を辞めること、かなと感じています。「ありのままの私だったら今の仕事はできないや」と思うからです。それはできなくてもいいんだよという受容の気持ちが半分、ありのままの私では能力不足だと価値が足りないという否定の気持ち半分。

単純に後者の気持ちを昇華するには、復職してありのままの私で仕事をしてみて、なんだ大丈夫じゃん、って思えたらいいんだろうな。でもそうでもなくて。

休職しての「成長」とは

休み始めたとき先生に言われてピンとこなかった言葉がありました。

「職場の人には、休んで自分と向き合って”成長した”○○さんを見せてあげましょう」

休職した私が復帰するというのは、風邪で体調を崩したところから治るようにマイナスがゼロになるイメージだったんですよね。むしろ休職ってマイナスなイメージが強かったので、回復しても周囲からの評価はマイナススタートじゃないかと感じていました。

それなのに休職して自分と向き合った後の私はプラスになるような言い方をするのです。

「できる」ことで劣等感の払拭、立場の確立、他者と比較して自分に価値が生まれる。競争社会で生きる私と結びつく「成長」とは、そういうできるを増やす「成長」だと思っていました。

「人としての成長」という言葉がありますが、これは仕事や休職とは結びついていなかったです。でも先生のいう「成長」とは、人としての成長を意味していたのだと思います。

ありのままの自分を認めて、弱さだと切り捨ててきた自分を取り込んで、人としてより成長した私を見せてあげてということだったのだと今は思います。風邪が治るのとは大きくちがっていて、メンタル不調が快方に向かった私は、病む前の私とは大きく違う。マイナスがゼロになるのではなく、ゼロを通りぬけてプラスになるのだと解釈しています。

仕事ができるようになっていない、できるようになりたい、ならないと。

これは私の望み?それとも競争そう社会での私の価値・成長のためにそうあるべきと思っているから?

自分がやりたくてやっていたこと、やらないといけないからやっていたこと(無理をしすぎていた部分)がわかってきて、それがわかってきた私は、良い加減というのを何かしらの形で社会に出ていきながら試行錯誤して見つけていかないといけません。

できることに価値がある世の中ですが、できないことにも価値がある。

例えば心身を傷つけてまで頑張ることができる。⇔私は自分をいじめることができない。つまり自分を大切にできる。言葉遊びですがね。できないことがわかるということは、無理をしてやらない。自分を癒すことができるということ。そしてそれも自分だと受け入れる。

できないことの価値や競争社会における成長のとらえ方は、「つい頑張りすぎてしまうあなたへ」という書籍から教えていただいた考え方です。著者の先生が不登校の子供に対する支援活動をされていた方で思っていたものと少し違う内容ではあったのですが、色々な気づきを頂きました。

山登りも頂上が近い?凪いだ気持ちで考えるようになってきた

6か月目の休職となり、休職5カ月頃と比べると、堂々巡りは続いているものの、穏やかで凪いだ気持ちでいることが多くなった。浮き沈みがあって沈んでいるときは沈んでいるのだけれども。

決めないと・・・!!という感じではなくなってきた。ぐるぐるぐる煮詰まって考えていたときの辛さも減ってきた気がする。

武田友紀先生の大好きな著書「繊細さんが自分のままで生きる本」に、決断するまでにはとことん悩んで嵐の中を通る、といったニュアンスのことが書かれていました。私は嵐を抜けつつあるのかな~と感じているところです。

休職では、立ち止まることになって目をそらしてきた自分の特性とかそういうものを山に見立てて、理解するべく登頂している。山の天候に振り回されながらも、標高が高くなって低木が増えて見晴らしがよくなってきたのかな、なんて思っています。

詳細を知るためには色々なルートで登ったり下ったりが必要かもしれませんが、一度頂上からの景色を見てみたら自分への理解が大きく深まる、心が決まるかなぁって考えていますよ。

山で例えた手前、乗り越えるという言葉が出かかりましたが、メンタル不調に乗り越えるとか、克服するだとか、そういう言葉は殊更似合わないと私は思います。向き合っているのは自分であって敵でもなんでもないのですから、未開の私有地を散策するくらいの気持ちでどうでしょう。

休職して出会った武田友紀先生の書籍はどれも大好きで、私にとってまさに人生のバイブルです。繊細さんな自分が「自分を大切にする」ための色々を与えてくださっています。よく先生が参考文献として挙げられている泉谷閑示先生の「「普通」がいいという病」という書籍からも非常にたくさんのマインドをもらいました。HSP本ではないのですけれど、すごくよかった(語彙)。

時間のある方はぜひ手に取ってみていただきたいです!

さいごに 思い出した休職直前の出勤日帰り道

最後に、お休みする中で思い出している「繊細な感性」で感じる日々と、そういえばあれも繊細な感性で受け取った情景かなと思い出した休職直前の出勤日帰り道についてお話して終わりにします。

日々のふとしたことかがらに、たくさんの幸せ、心地よさ、面白さ、ワクワクさを感じています。洗濯して干した毛布を取り込む時に太陽のにおいに顔をうずめる、外を歩くと季節のにおいがしてくる(伝わります?笑)、道端にきれいな花が自生しているのを見つけた、とかですね。

このどれもが、私の心をとても穏やかに、時にじっとしていられないようなワクワクを与えてくれるのです。これって私しか気づいていないのかも!うふふ、自分って特別なんだわ!と思えてきます。

自分が漫画やアニメの主人公になったような、これから何か面白くて素敵なことに巻き込まれてしまうかも!そんな気持ちにもなるのです。

思うだけは自由ですから!恥ずかしがらない!ちゃんとそこにいる無邪気な自分を認識してあげる。

社会にでて毎日が忙しなくて、たくさん感じてたくさん傷ついて、無意識に敏感さの感度を落とさざるを得ない日々を送っていた時、私が見ていた世界はずいぶん色褪せてしまっていたのかもしれません。

休職前最後に会社に行った日は定時で上がりました。久々の夕方は帰宅する大人から子供まで幅広い世代の人々の活気があって雰囲気が違う、いつも営業が終わっていた花屋さんが開いていて可愛らしい店前の花々やフラワ―アレンジメントを横目に、夕日のオレンジが何だかとても鮮やかでノスタルジーで、辛いことばかりに心が振り回されていた日々の中で、久々に違う胸にこみあげるモノがありました。あの時の感覚を半年たった今でも鮮明に思い出すことができます。

現実主義、嫌なことは感度を落としても感じ取る、一方で小さな幸せは、夢見がちだと恥ずかしいものだと認識しなくなっていったような気がします。

心と体を休める時間を取ってみたら、そういう小さな幸せをたくさん思い出してきています。あぁそうだったなぁ、この感じ、好きだなぁ、とぶらぶら散歩をしながら感じているのです。

お休みをしてぐるぐる思い悩みながら、休み休み時に苦しく登山してきました、そして今は頂上に近づいてきているかもしれないです。辛い気持ちはだんだんと凪いできて、あぁやっぱり違うかも、新しい生き方で一歩踏み出してみようかな、そんな気持ちになっているのです。

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